え?これも仏教語! 「接待」

接待(せったい)

「ゴルフ・相撲・居酒屋 手厚い接待」
 これは、2019年5月27日(月)A新聞朝刊一面の見出しです。
(この他、「接待外交」「接待三昧」「おもてなし」等等の言葉が散見された。)
 トランプ米国大統領が、令和最初の国賓として来日しました。(5月25日~27日)
報道機関の多くが、「ゴルフ・相撲・居酒屋」での安倍首相の「接待」の様子を大々的に報道する姿に、色々な感想を持った人がいたであろうことは、容易に推測できます。
6月4日にトランプ米国大統領がイギリスに国賓として訪英したニュースを見てみると、訪日とは対照的なことが見られ、話題となりました。

 

 前置きはさてとして、この「接待」という言葉も、本来仏教の教えから出た言葉です。
 もともとは仏教の専門用語であったものが、日本人の日常に溶け込み、日常語として多く使われるようになりました。時と共に発音や意味が変わり、仏教を基盤とした生活から離れてきつつある現在では、「仏教語」であると認識する必要もないのかもしれません。

 しかし、釈尊が説かれた仏教の教えが、私たちの人生の在り方を問うものであり、生き方を示唆するものであるならば、本来の意味を再確認することも大切なことではないでしょうか。

 

 仏教の教えを示す言葉が、いつの間にか転用されて定着していることばが数多くみられます。
 「我慢」「億劫 おっくう:おっこう」「上品・下品 じょうひん・げひん:じょうぼん・げぼん」「挨拶」「玄関」「出世」「他力本願」「極道」・・・などです。

 

 さて、「接待」という言葉の意味は
「本来は仏教語で、布施の一つとして、修行僧に門前で湯茶を供することをいう。現代でも、四国八十八寺を巡る遍路では巡礼に茶菓をふるまうことをいう。
現在では、見返りを求めて人をもてなす場合に用いられることもあるが、本来は無償の行為である。」と説明されています。

こう見てくると、「接待」は、本来無償の行為を指し示す言葉でしたが、現在は正反対の「見返りを求める行為」に使用される言葉であるようです。


 ご承知の通り、○○○○しゃぶしゃぶ事件と言われ、現役職員が逮捕された旧大蔵省接待汚職事件を受け、2000年に国家公務員倫理法が施行され、接待行為が禁止(軽微なものは除く)されました。官民接待、官官接待、民民接待と言われ、接待をする側と接待される側に、「見返りを求める行為(贈収賄など)」が介在するからでしょう。


今回のトランプ米国大統領が、令和最初の国賓として来日されたのですが、「接待外交」とも言われ、さて、海外でも大きな話題になった「ゴルフ・相撲・居酒屋」での接待、何の見返りを求めての接待であったのか、何の見返りがあるだろうかと注目されているようです。