2017(平成29)年1月26日(木)13:00~13:30
鋸南ロータリークラブの例会が1月26日開催されました。
この席上、住職堀田了正が招かれ、卓話をさせていただきました。
ロータリークラブでの卓話は、今回で2回目。前回は、「一茶とのであい」でした。
今回は、11/13日の法要時の法話「有り難いと当たり前」をロータリー卓話様に加筆した内容といたしました。
当たり前と有り難し
鋸南ロータリークラブ 卓話
平成29年1月26日(木)12:30~
最誓寺住職 堀田了正
1 あいさつ
本日は、鋸南ロータリークラブの例会にお招きいただき、ありがとうございました。
長男堀田了誓が会員ということで、昨年末の家族会に参加させていただき、つたない手品などを披露させていただきました。
鋸南ロータリークラブでの卓話は、今回で2回目で、前回は「一茶とのであい」と題して、浄土真宗の熱心な門徒であった小林一茶の生涯と、あまり知られていない、仏教・浄土真宗のみ教えを踏まえて詠まれた句を紹介させていただきました。
2 ありがとうはしあわせのあいさつです
ひらがな天才詩人くりすあきら
くりすあきらさんは、異常分娩により、知的障害、脳性麻痺、腎臓障害など数々の障害を持ちながら、心に染み渡る多くの詩をひらがなで詠まれています。
各地で「あきら展」を開催し、NHKハート展に7回入賞され、テレビで放映されていますので、見られた方もおられるでしょう。
詩を紹介いたしましょう。
ありがとう
ありがとうといわれたら しあわせになります
でもありがとうは なかなかいうて もらえません
しんせつにせんと いうてもらえません
どりょくせんと いうてもらえません
ありがとうは しんどいことなのです
だからぼくは しんせつにしてもろうたら
すぐありがとうと いうことにしました
ぼくのために どりょくしてくれたんじゃけん
ありがとうといいます
ありがとうは しあわせの あいさつです
3 「ありがとう」は「ありがたい」=「有り難きこと」
「ありがたい」とは、「有り難きこと」「滅多にないこと」ということです。
「失って初めて、そのありがたさに気付く」とよくいわれます。
それは、あまりにも当たり前すぎて、大切なことだと気づかない生活を送っているからなのでしょう。
熊本地震で被災された吉村隆真(よしむらりゅうしん)といわれる方が、ある雑誌に「幸せって何だろう?~被災者のプライド~」と題して投稿されていました。
「被災者はお客様ではない」「お客様気取りで何にでもクレームをつけ,やってもらって当然」という態度では、全国各地から善意のボランティアに対しても失礼ではないか。被災者のプライドを持とうと。
そして、被災したのは悲しく辛い出来事だが,決して悪いことばかりではあるまい。
一滴の水がこんなにも尊いと感じた暮らしがあっただだろうか。日の出をこんなにも待ち焦がれた夜があっただろうか。家族との時間をこんなにも愛おしいと思えた日々があっただろうか。
当然から始まる毎日が愚痴や不平不満を募らせ,感謝や感動を忘れさせてはいなかっただろうか。失ったものの代償として「幸せとは何か?」大きな目覚めの機会を、私は与えられたのかもしれない。と述べられていました。
そう考えてみますと、「あたりまえ」のことを「あたりまえ」と気付く・感じること、そのことこそ「ありがたい」ことであると知らされます。
4 「ありがたい」の反対は「あたりまえ」
ここで、当たり前ということについて、少しお話しさせていただきたいと思います。
5 「当たり前」に気付く大切さ
当たり前という言葉を聞くと、まず思い起こされるのが、皆さまよくご存じの、大リーガーで活躍しているイチロー選手です。
(1)イチローの言葉(当たり前のことを当たり前に行う)
『特別なことをするために特別なことをするのではない、特別なことをするために普段どおりの当たり前のことをする。』
(2)一休禅師(1394~1481)の話(当たり前・ありのままにみる)
臨済宗の名僧の一休禅師のとんち話にはいろいろありますね。
有名なのは、例の橋の話です。
一休さんが橋を渡ろうとすると、立て看板が掲げられていました。「このはし渡るべからず」と。
すると一休さんは、堂々と橋の真ん中を渡っていったという話です。
ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。
「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのです。
いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできませんでした。
暮れがた、一人の旅人が通りかかりました。その鉢植を見て、「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。
その旅人だけが松の木をあたりまえに・ありのままに見たのです。他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまいました。褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのでした。
(3)妙好人「源左」さんの言葉(当たり前が有り難い)
源左さんという南無阿弥陀仏のお念仏を喜ばれた方が「急な雨が降っても鼻を下に向けてつけておいてもらっているので有り難い」と仰有ったという話を聞いても、同じように有り難いと思える方がどれほどおられるでしょうか?
(4)道元禅師の言葉(当たり前のことを当たり前と受け止める)
鼻といいますと、これまた興味深い話があります。
「空手還郷(くうしゅげんきょう)」、「眼横鼻直(がんのうびちょく)」
この言葉は今から750余年前、曹洞宗を開かれた道元禅師(1200~1253)が、24歳の時中国に留学し、天童寺如浄禅師に学ばれ、28歳で帰国。そして先ず、禅の根本道場として興聖(こうしょう)寺を建立します。その開設に臨んでの上堂(修行者に対する説法)の一節が『永平広録』にあります。
「空手還郷(くうしゅげんきょう)」、「眼横鼻直(がんのうびちょく)」というものでした。
空手還郷(くうしゅげんきょう)とは、「経典や仏像など持ち帰らず、手ぶらで祖国日本に帰ってきました」。
眼横鼻直(がんのうびちょく)とは、「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」と言われたのです。
経典や仏像などは持ち帰らずに、ただ一つ「目は横に、鼻は縦についていることがわかって、空手で帰ってきた」と。
当時、中国留学を果たした僧は、貴重な仏像や文献・経典などを土産に持ち帰るのが習いでした。
帰国を知った人々は、道元にも同様のことを期待して待ち受け、「中国から何を持ち帰ったか」と尋ねます。
ところが道元は、「眼横鼻直 空手還郷」(がんのうびちょく くうしゅげんきょう)と言い放ちます。
「眼は横に、鼻は縦についているということを学んできました。それ以外に得てきたものは何もありません」
人々は落胆どころか呆れてしまい、「道元はどうかしてしまった」と言う噂がかけめぐったと言われます。「眼は横に、鼻は縦についている」と言うのは、幼子にも分かるあたりまえのこと。
しかし道元は「世の中の出来事はすべて、本来そのようにあるのがあたりまえだ」と言うばかりなのです。
当時の中国は、日本からすれば世界の文化の中心ともいえる国でした。
道元禅師はそこへ行って本場の仏教を4年間学んできた訳ですから、さあどんな教えを説いてくれるのかと集まった人々は期待していたと思います。
しかしあにはからんや、まず発せられたのは上のように「眼横鼻直(がんのうびちょく)なることを認得して空手還郷(くうしゅげんきょう)、一毫も仏法無し」だったわけです。
意外な言葉ですが、しかしむしろこれは端的に道元禅師の仏法を表しているのです。
目は横に、鼻は縦についている「あたりまえのこと」じゃないかとわたしたちは思います。道元禅師のようなお方が命がけで宋にまで渡り4年もの間、法を求め修行をされて、わかったことが、眼横鼻直(がんのうびちょく)ただひとつだと・・・。
道元禅師は、先ほどの眼横鼻直・・・に続けて、「お経に書いてある経文や僧侶が説く教えが仏法であるのと同等に、太陽が東から昇るのも、月が夜西に沈むのも、雲が切れて山が姿を表すのも、雨が降れば山の木々は潤って低くたれるのも仏法であり、ただその中で日々を過ごしているだけである」と説かれています。
当たり前のことを当たり前だと受け止められない。これが悩みの元になるというのです。
それほど「あたりまえのこと」の有り難さを分からないのが私たちではないかとお示しくださったのがこの言葉です。
道元禅師でさえ四年の歳月がかかったのです。易しくて、難しい事実です。私達は果たしてすべてを、見るがまま、聞くがまま、あるがままに受け取ることができるでしょうか。
仏教というと、私たちは特別なもの、難しいものとして構えてしまいますが、日常の生活そのものが、仏法であり、私たちの生き方に大きな示唆をあたえてくれるものといえるのではないでしょうか。眼は横に、鼻は直に、じっくり味わいたいことばです。
6 まとめ
いろいろとお話しさせていただきましたが、
当たり前のこと、平凡なことに感謝できる人は、『日常のありがたさ』に気付いている人でしょう。当たり前過ぎて気付かないことは、たくさんありますが、実はそれが一番大切なものであるかもしれません。
私自身も「当たり前のありがたさ」に気付く心を持ち、感謝の心を忘れないようにしていきたいと思います。
そして、こだわりの良い面は活かすけれども、悪しき面にはとらわれない生き方をしたいと思います。
最後に、鋸南ロータリークラブのますますのご発展と、皆様方のご健勝を祈念いたしまして、終わりたいと思います。
どうも有り難うございました。
資料 出典(永平広録より原漢文)
「山僧叢林を歴ること多からず。ただ是れ等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して人に瞞ぜられず。すなわち空手還郷す。ゆえに一毫も仏法無し。任運に且く時を延ぶ。朝朝、日は東より出で、夜夜、月は西に沈む。雲収て山骨露れ、雨過ぎて四山低る。」(永平広録より原漢文)
★意訳
「私はそれほど多くの寺で修行をしてきたわけではない、ただ偶然にも師である天童禅師に会うことが出来、そこで眼は横、鼻はたてに付いているというごく当たり前の事を悟り、その他のことに惑わされることが無くなった。そしてお経もなにも何も持たず空手で帰ってきた。だから取り立てて仏法などというものは一毫(毛筋一本)も持っていない。日が東から昇り、月は夜西に沈む、雲が去れば山が姿を現し、雨が来れば山の木々は潤って低くたれる。ただその中で日々を過ごしているだけである。」
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