千葉組連続研修会 第2回 宗教の中の仏教 2 神と仏の違い

2018.1.20 浄土真宗本願寺派最誓寺住職 堀田了正

 

2 宗教の中の仏教
(1)今回連研第二回のテーマ「宗教の中の仏教」について
ドラマ「相棒」の警部殿(水谷豊演じる杉下右京)は、「ついつい細かい事が気になるのが僕の悪い癖・・・」と毎回言いますね。私も細かいことが気になるんです。今回のテーマ「宗教の中の仏教」って何?って。次回連研のテーマ「仏教の中の浄土真宗」も同じように、気になるんですね。
その理由は、連研第3回(講師:最誓寺住職 堀田了正)で、親鸞聖人の説かれる教えを研修する中で述べたいと思いますので、参照してください。

(2)世界の宗教
宗教を大別すると、「祈りの宗教」「服従の宗教」「目覚め(智慧)の宗教」に分けられます。
ア 「祈りの宗教」とは、自分の欲求の不満足な面をよりよく叶えてもらうために、人間より力のある神仏に祈る、たとえば、人間の力ではどうしようもない不二の病におかされて、神に祈り、その力で助けてもらおうとすることなどです。試験に受かるように神様に祈ったり、交通事故にあわないように祈ったりするのもそうです。直接的なご利益を願って神仏にお参りする、というような多くの信仰がそのような宗教に属します。
イ 「服従(啓示)の宗教」とは、人間を超越した全知全能の神があり、真理はただその言葉にあらわされていて、それに従うことが信仰であるとするイスラム教やユダヤ教、キリスト教などの一神教的啓示宗教がこれに属します。この宗教では神こそが正義であり、神を畏敬(いけい)し、その命令に従うことが信仰なのです。
ウ 「目覚め(智慧)の宗教」とは、その真理を知ることによって迷妄(めいもう)を断じ、真の自己への転換を実現するという救いのあり方です。 他の宗教が、偉大なる神の力によって、天国に生まれることを救いとするのに対して、仏教は、あくまでも自分自身が真理を知り、迷いの自己に気づき、それによって目覚めた本当の自己への転換を実現しようとする教えです。

宗教といわれるものには、仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、神道などが挙げられます。
この内世界三大宗教と呼ばれるものは、仏教、キリスト教、イスラム教です。
仏教は釈迦牟尼世尊(釈尊)、キリスト教はイエス・キリスト、イスラム教はムハンマド(マホメット)が開いた教えです。
キリスト教、イスラム教は、啓示宗教といわれ、この世の全てを創造した唯一絶対神(キリスト教:God(神)、イスラム教:アッラー)の啓示を受けた預言者(キリスト教:イエス・キリスト、イスラム教:ムハンマド)によって創唱された宗教で、「一神教」といわれます。
それに対して、仏教は、釈尊が悟られた教えであると同時に、私たちが仏(覚者)になる教えです。
ここが他の宗教と根本的に違いがあるところです。

(3)神と仏の違い
前項で述べた「祈りの宗教」「服従(啓示)の宗教」における「神」は、人間の欲望を満足させるために祈る対象であり、また、人間を支配したり、神の言葉に反する人間に罰を与えたりする「神」であります。
それに対して、「目覚め(智慧)の宗教」における「仏:阿弥陀如来」は、智慧と慈悲をもって全ての人々を救い、真実の生きがいと生き方を明らかにしてくださる「覚者=仏」であります。
ア 神の種類
「神」といわれているものには、
①支配神・・・天候や土地、農耕を司る神
②自然神・・・山や水、岩や木など自然を人格的に見た神
③創造神・・・この世を造り、全ての生きものをつくった神
④功労神・・・英雄、戦争など功労のあった者を祭った神
⑤祖先神・・・先祖をまつった神
⑥怪奇神・・・正体はわからないが、タタリの神
など、さまざまな神があります。
これらに共通して「神」とは、人間を超えた力を持ち、人間に威力をもって影響を与えると考えられている権威的存在です。神の意志にそわないものは罰せられ、従っているものは利益や恩寵に預かることができると期待することになります。

イ 「仏」とは
これに対して「仏」とは、「覚者:真理に目覚めたもの」であり、「自覚覚他」といわれるように、みずから真実の智慧にめざめ、さらに他を目覚めさせるはたらきをもつ方であります。
一神教の神のように、私たちは絶対に神になることはできませんが、仏教は、わたしが生死の迷いを超えて「仏」になることができる教えであります。