平成26年 門信徒だより  
  慈 光(じこう)
              第152回 お経の練習会・法話会 !
          平成26年9月28日(日)14時~16時  最誓寺本堂・会館にて

●26年法話会テーマ
「連研テーマにそい、生かされている“この私”のあり方を学びましょう!」

◆今回は「平和」です。

 現代社会には、様々な問題があります。その問題の中で、戦争という悲惨な現実苦にあえぐ人々がおります。
 最近では、「イスラム国」や「ウクライナ」等に関する悲惨な報道が、連日行われています。
 また、日本では、米軍基地問題、戦中の「従軍慰安婦」問題、毎年繰り返される政府要人の「靖国公式参拝」問題、そして、憲法解釈の変更と称した「集団的自衛権」問題、原発問題等、賛否両論がある問題が多くあります。
 朝の連続テレビ小説を視聴していたら、先の大戦中の場面で、「非国民」」「国賊」と言うことばが幼い子どもたちを含めて行き交い、改めて、「国家」とは、「国民」とは、「時代のうねりの中での個人」とは何かを考えさせられました。
 戦争のない状態が平和なのか?年間3万人以上の自死者を出し続ける社会が平和といえるか?悲惨な凶悪犯罪が連日起こっているこの社会が平和といえるのか?自然災害が人災により大被害を出している社会が平和といえるのか?
 念仏者として、「平和」について、真剣に問いたいと思います。

1 連研を通して、「平和」を問う!9月7日(日)10:00~16:00
  ●会場:靖国神社・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑・築地本願寺(蓮華殿)
(1)靖国神社「遊就館(ゆうしゅうかん)」見学
(ア)靖国神社「遊就館」とは(館内案内から一部転載)
 遊就館は、靖国神社に鎮まります英霊のご遺言やご遺品をはじめ、その「みこころ」や「ご事蹟」を今に伝える貴重な史資料を展示しています。(中略)愛する祖国、愛する故郷、愛する家族のために、尊い命を捧げられた英霊の「みこころ」やご事蹟に直接ふれることによって、大切な何かを学ぶことができるのではないでしょうか。(後略)

(イ)靖国神社を巡る諸問題とは?
    ア 信教の自由 イ 政教分離 ウ 歴史認識・植民地支配 エ 戦死者・戦没者慰霊 オ A級戦犯合祀 カ 宗教的合理性と神道儀軌
    キ 靖国神社国家護持法案に関する問題など
(ウ)浄土真宗本願寺派の考え(東西本願寺 1969年3月、靖国神社国   家護持法案に関する自民党に対する要請)
  反対の理由「政教分離」「信教の自由」「公金使用の制限」
       「基本的人権侵害の危険」

(2)国立千鳥ケ淵戦没者墓苑参拝(都合により、移動バス内での参拝)
(ア)国立千鳥ケ淵戦没者墓苑とは?
 千鳥ケ淵戦没者墓苑は1959(昭和34)年に国により建設されました。ここには、ご遺族の元へお渡しできなかった36万96柱(平成26.5.26現在)の御遺骨が納骨室に安置されています。(無宗教施設=各自の宗教に応じて参拝ができる施設)
※2013年10月3日、来日中のケリー米国務長官とヘーゲル米国防長官が献花。外務省は米の閣僚による同墓苑の訪問は「聞いたことがない」としており、外務、防衛担当閣僚がそろって献花するのは極めて異例の対応という。

(イ)「全戦没者追悼法要」
   浄土真宗本願寺派では、本願寺での全戦没者追悼法要とは別に、御門  主親修のもと1981(昭和56)年より、毎年9月18日に悲惨な戦  争を再び繰り返してはならないという平和への決意を確認するため、毎  年9月18日に、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑において修行しています。
(ウ)なぜ9月18日なのか?

(3)講義「ヤスクニから学ぶこと」(築地本願寺にて)
                      講師:本多靜芳氏(中組 万行寺住職、東洋大学講師)
●国のために戦死された方なのか?名誉の戦死?国の誤った政策によって殺され た方なのか?
●「国民あっての国」か?「「国あっての国民か?
●「福祉国家」といいながら、弱者の視点に立っているか、
●被害者になりたくないだけではなく、加害者にはなりたくないという心を 育てようではありませんか、(大谷光真 本願寺門主)
●仏教・浄土真宗は、「目覚め」の宗教。自我に気づかされる宗教。
 親鸞聖人の教え=弥陀一仏→この世の中は空言戯言、真あることなきと見 抜く心。

2 仏教・浄土真宗では!
(1)暴力では何も解決しない。
  すべての者は暴力におびえる すべての生き物にとって生命はいとしい
  それがゆえに自分の身にひきくらべて 殺してはならない 殺さしめて  はならない 怨みによって怨みは決して止むことはない
  怨みを捨ててこそ怨みは止むのである(原始仏典 釈迦のことば)
(2)「兵戈無用(ひょうがむよう)」(仏説無量寿経)
   真の平和とは、兵士も武器も必要ない、暴力の影におびえる必要のな  い世界である。