聖徳太子1400年大遠忌

2021年は、聖徳太子没後1400年。各地で、大遠忌法要が執り行われた。

2021.4.11

 

浄土真宗本願寺派慈光山最誓寺 住職 堀田了正

★聖徳太子1400回御遠忌の年(2021年:令和3年)

今年は、聖徳太子の1400回御遠忌にあたります。ご命日は、4月11日(旧暦2月22日)です。

 御遠忌法要が、法隆寺、(西)本願寺等で執り行われ、また、特別展「聖徳太子と法隆寺」が奈良国立博物館:令和3年(2021)4月27日(火)~6月20日(日)、東京国立博物館:2021年7月13日(火)~9月5日(日)で開催されます。

 

★聖徳太子について

 聖徳太子といえば、多くのことが思い出されます。歴史の時間に学んだ推古天皇(女性天皇※別掲1)の摂政として「冠位十二階」及び「十七条の憲法」を制定、そして、小野妹子等遣隋使を派遣し中国文化を積極的導入する等、政治・文化の刷新に努力されました。

 近くでは、1万円札の肖像(その後は,福沢諭吉)が思い出されます。

★聖徳太子と仏教

 当時有力豪族として対立していた「物部氏」と「蘇我氏」。物部氏は日本古来の神道を信奉し、一方、蘇我氏は大陸から伝来した仏教を崇拝し、宗教観の対立がありました。詳細は省きますが、崇仏派の蘇我氏が物部氏との争いに勝利した結果、蘇我氏と姻戚関係にあった聖徳太子が、日本仏教の礎を築き、その結果、大きなご功績を遺されました。

 

 聖徳太子は法隆寺を建立し、『憲法十七条』第二条で「篤く三宝を敬え」(※別掲2)と説き、「世間虚仮、唯仏是真(せけんこけ ゆいぶつぜしん:世間は虚仮なり、ただ仏のみこれ真なり)」という言葉を残すなど、日本の仏教史上における多大な業績が伝えられ、そのため、聖徳太子は宗派の枠を超えて尊崇されてきました。

 

 本願寺派寺院の本堂左余間(ご本尊に向かって右側余間)に聖徳太子の絵像又は像を安置しているのも、その証左であります。

 

※平安時代になると、聖徳太子を救世観音(くせかんのん)の生まれ変わりとみる信仰が生まれ、太子も中心的な信仰の対象となりました。

★親鸞聖人と聖徳太子、そして、法然聖人

 聖徳太子は、親鸞聖人が「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、 さらに後悔すべからず候。(たとえ法然聖人にだまされて地獄に堕ちても、親鸞何の後悔もないのだ。:歎異抄第二章)と生涯の師と仰ぐ法然聖人に出遇うきっかけとなった「六角堂参籠95日目、聖徳太子の示現(夢告)」(※別掲4)」。

 そして、「和国の教主聖徳皇・・・・」(「皇太子聖徳奉讃」)とお示しくだられたように、聖徳太子を日本のお釈迦様と仰がれ尊崇されました。


別掲1 女性天皇

 日本では過去、初代の神武天皇から今上天皇(徳仁)に至る歴代126代天皇の中で、8人10代の女性天皇が存在した。

 日本神話では、皇祖神(こうそしん:皇室の祖とされる神。)として登場する天照大神(あまてらすおおみかみ)は、女神と解釈されている。

 天照大神は、『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに生まれたとされている。即ち、皇室の祖先は、女性であったということになる。

 

別掲2 「篤く三宝を敬え」

 聖徳太子が定められた十七条の憲法は、現在の憲法とは趣を異にし、官僚(役人)の行動規範を示したものであるといわれています。

一曰、以和爲貴・・・(和を以て貴しとなし・・・)
二曰、篤敬三寶・・・(篤く三宝を敬へ・・・)

◆「三宝」とは

 聖徳太子は、十七条の憲法の第二条に、「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり。」と定められました。

 三宝は、仏教の三つの宝を指します。 

  仏が説かれた教え教えを伝えるを大事にしなさいと言われています。

 

 仏法僧の「三宝」に帰依することを、三帰依(さんきえ)といいますが、この三帰依の文章は仏道に入る儀式である『受戒会』や『得度』にも用いられ、しばしば音楽法要にも使われています。

 

 南無帰依仏(なむきえぶつ)

 南無帰依法(なむきえほう)

 南無帰依僧(なむきえそう)

 

 パーリー語

Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi(ブッダン・サラナン・ガッチャーミ)
(私はブッダ(仏)に帰依いたします)
Dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi(ダンマン・サラナン・ガッチャーミ)
(私はダンマ(法)に帰依いたします)
Saṅghaṃ saraṇaṃ gacchāmi(サンガン・サラナン・ガッチャーミ)
(私はサンガ(僧)に帰依いたします)

 

●礼讃文(らいさんもん)ー三帰依文ー(さんきえもん)

 人身(にんじん)受(う)け難(がた)し、いますでに受(う)く。仏法(ぶっぽう)聞(き)き難(がた)し、いますでに聞(き)く。此(こ)の身(み)今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身(み)を度(ど)せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至(し)心(しん)に三宝(さんぼう)に帰依(きえ)し奉(たてまつ)るべし。

 

 自(みずか)ら仏(ぶつ)に帰依(きえ)したてまつる。まさに願(ねが)わくは衆(しゅ)生(じょう) とともに、大道(だいどう)を体解(たいげ)して、無上(むじょう)意(い)を発(おこ)さん。

 

 自(みずか)ら法(ほう)に帰依(きえ)したてまつる。まさに願(ねが)わくは衆(しゅ)生(じょう) とともに、深(ふか)く経蔵(きょうぞう)に入(い)りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとくな らん。

 

 自(みずか)ら僧(そう)に帰依(きえ)したてまつる。まさに願(ねが)わくは衆(しゅ)生(じょう) とともに、大衆(だいしゅう)を統理(とうり)して、一切(いっさい)無碍(むげ)ならん。

 

 無上(むじょう)甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法(ほう)は、百千万(ひゃくせんまん)劫(ごう)にも遭遇(あいお)うこと難(かた)し。我(われ)いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。願(ねが)わくは如来(にょらい)の真実(しんじつ)義(ぎ)を解(げ)したてまつらん。

 

「三帰依文」現代語訳

 

 この世に人として身を受けることは、私の思いをはるかにこえたことであるにもかかわらず、私は今すでにここにこの身を受けておりました。 出遇(であ)い難(がた)い仏法(ぶっぽう)に、はからずも今、私は出遇うことができました。ここに生きている私が、今、救われなければ、いったいいつになったら救われるというのでありましょうか。だからこそ、今、あらゆる人々と共に私の全てを尽(つ)くして、心から仏(ぶっ)・法(ぽう)・僧(そう)の三宝を尊(とうと)び、それを依(よ)りどころとして生きていきたいと願わずにはいられません。

 

 ・私は、仏(ぶつ)(ブッダ)を尊び、それを依(よ)りどころとして生きていきます。

それは、あらゆる人々と共に、真実の法を明らかにされた正しい仏の道をこの身にうなずき、人間を成就(じょうじゅ)する大いなる心がおこることを願うからにほかなりません。

 ・私は、法(ほう)(ダルマ)に目覚(めざ)めて、それを依りどころとして生きていきます。 それは、あらゆる人々と共に、真実の教えを深く求め、あたかも海のように深く限りない智慧(ちえ)をいたたせくことを願うからにほかなりません。

 ・私は、僧(そう)(サンガ)を敬(うやま)い、それを依りどころとして生きていきます。 それは、あらゆる人々と共に、仏法によって生きる平等で自由な集(つど)い(世界)が開かれることを願うからにほかなりません。

 

 この上もなく奥深く尊い真実の法は、どれだけ長い時間をかけても出遇うことは大変むずかしいものです。そうであるのに、私は今、その真実の法に出遇うことができ、その真実の法を依りどころとして生きる身となることができました。ここに、聞法(もんぽう)の生活を通して、本当にの身に生きてはたらく阿弥陀如来の真実を、私のいのちの中に明らかにしていきたいと願っています。