母の日 介護職員の「心の叫び」から 浄土真宗本願寺派最誓寺住職 堀田了正

●母の日に花を贈る
 「母の日」に花を贈るという人が、日本でも多いようです。
 外国(欧米)の行事・習慣を何でも取り入れてしまうのが日本人でしょうか。「バレンタインデー」でチョコレートを贈り、「ホワイトデー」ではキャンデイなどのお菓子をお返しに。「母の日」にはカーネーション。「父の日」にはバラ(私が子どもの頃は、母のいる子は赤、母のいない子は白い造花のカーネーションを配られ、胸に飾っていました。問題があったのでしょう。今は無いですね。)「ハロウィーン」では渋谷で大騒ぎ、「クリスマス」ではクリスマスケーキ等です。それぞれの行事・習慣自体が問題があるといっているのではありませんが・・・

●ある「介護職員の心の叫び」
 『モーニングショー』(テレビ朝日系 2019年5月10日放送)を観ていましたら、5日にある介護職員の方がネットに投稿された次のツイート、
 「言ったら怒られるであろう介護職の心の叫びを、つぶやかせていただきます。(介護施設にはたくさんの花が送られてくるが)介護職に、利用者のお世話に加え花の世話という仕事が増えてしまいますので、できれば花を贈るのはお控えいただきたい。以上、心の声でした」を取り上げていました。

●母の日に「カーネーションを贈る」習慣の由来
 母の日にカーネーションを贈るのは、1909年5月9日にウエストバージニア教会で「母の日」を祝う礼拝を行った時、アンナ・ジャービスという女性が、生前の母親が好きだった「白いカーネーション」を祭壇に飾ったのがきっかけと言われています。
 そして、1914年に米のウイルソン大統領が5月の第2日曜日を「母の日」と正式に定めてから。

 30年ほど前、母が脳梗塞で7年間入院していた時のことを思い出しました。
 入院先が電車とバスを使って1時間程の所でしたので、病院に花を送りつけるということはしませんでした。妻は特段の用事が無い限り、毎日のように母に会いに行ってくれました。
 したがって、施設に花を送るということ自体、今まで念頭にはありませんでした。それも「施設にたくさんの花」とは。この方の「心の叫び」を知るにつけ、どういう気持ちで母親に贈っているんだろう(それも自宅ではなく)と、今まで思いつかなかった様々な思いが浮かんでくる良い機縁となりました。

●番組では、
 まず第一に、街行く人のインタビューで、「やっぱり贈る気持ちって大事だと思うので、ダメって言われると寂しいかなと思う」「一年に一度くらい、母の日くらいお世話してくださってもいいと思う」という意見を紹介していました。
 また、花瓶がないのに花束だけを送ってくる利用者家族のほか、枯れた花を見て「心を込めて贈ってくれたものだから捨てないで」と言う利用者や、「ちゃんとお世話してくれたの?」という利用者家族もいることを取り上げていました。
 コメンテーターは「(花瓶がないのを知らないのは)介護施設に行ってないんですよ。行かないから送るんですよね」と。また、「花贈られるよりも、会いに来てもらったほうがいいよね、手ぶらでね」と言い、介護施設に花を送る事に対して否定的な姿勢を見せていました。
 実際に介護の現場で働く人たちから同意の声が多数寄せられていることも紹介されていました。
 「花束が送られてきても花瓶はない。花瓶を買わなければ飾れない」という。ほかにも「胡蝶蘭が贈られてきても世話が大変」「飾っていた花が枯れてしまったのに、贈られたお母さんが"捨てないで"というのが困る」「枯れたら、"あなたがちゃんと世話をしてくれないから"と言われた」などの声も聞かれたといいます。
 あるアンケートによると、母の日に贈りたいもののトップは「花」で49.9%、母の日にもらいたいものランキングで「花」は2位(24%)。トップは何かというと、「気持ちだけで十分。ものはいらない」(48%)だったそうです。

●「一水四見(いっすいしけん)」
 色々な考えがあるのだなあと知らされました。そして、仏教の「一水四見(いっすいしけん)」という言葉を思い出しました。
 同じ一つのものでも、見る側によって、いろいろ異なって見えることで、同じ「水」を見る場合でも、立場によって四つの様相があることをいいます。

 人間が「水」を見れば普通の水であっても、魚にとっては 自分たちの住む世界、住み家であり餌を求める生活の場。天人には 宝石で飾られ輝きを放つ池。餓鬼には 膿血で充満した河と見えたり、飲もうとした瞬間に火に変わり、からだを焼けこがず苦しみの存在に見えるといいます。(仏教の唯識学で使われている例えです。)

 このように、「一水四見」とは、同じ一つの「水」も、「人」「魚」「天人」「餓鬼」という立場で、おのおの異って見えることを例えたものです。
 ということは、自分が今、感じていることは、ひょっとしたら全く違う感じ方ができるかもしれないということです。

 「介護職員の心の叫び」から、これまでの経験で正しいと思っていた尺度も、多くの人と出会い、人それぞれの価値観があり、異なる解釈ができることを知りました。
 そして、数の力で、ろくに議論せずに、「これこそ正しい」と決められる昨今の状況を見るにつけ、人の価値観を尊重した上で、「この私」の判断の基準をどこに求めるのかと、考えさせられた「母の日に花を贈ること」でした。