福田寺御住職藤崎史観師を偲んで(2)

恵日山福田寺第14代住職釋史観

(藤崎史正)師 本葬儀法話

2017.4.30(日)13:00~ 於:福田寺

最誓寺住職 堀田了正

恵日山福田寺第14代住職釋史観(藤崎史正)師の本葬儀が、2017(平成29)4月30日(日)13:00から、鴨川市福田寺本堂にてお勤めになりました。

当日は、福田寺門信徒・寺族をはじめ、浄土真宗本願寺派千葉組法中、御住職が勤務された学校・教育機関の関係者、そして、中学校教員として初めて担任となった教え子の方々、等々生前親交のあった方々参列のもと、本葬儀が厳かに執り行われました。

藤崎御住職と教職2年後輩に当たりご指導をいただいた私が、お通夜に引き続き、お話しをさせていただきました。

(お通夜の法話)

 

1 あいさつ
福田寺第14代御住職釋史観様、3月9日、72歳を一期として往生浄土の素懐を遂げられました。
ここに、心から哀悼の意を表します。
私は、鋸南町最誓寺住職の堀田でございます。限られた時間ではございますが、お話しをさせていただきたいと思います。

 

2 良寛禅師の辞世の句
皆さんよくご存じの良寛さんの句に
良寛に 辞世あるかと 人問わば

  南無阿弥陀仏と 言ふと答えよ

われながら うれしくもあるか 弥陀仏の

  いますみ国に 行くと思へば

とあります。

良寛さんは禅宗の僧侶でありながら宗派の垣根にこだわることがなく、阿弥陀仏に対する深い信仰の持ち主でした。いのち終える時、南無阿弥陀仏と称えて、阿弥陀如来のお浄土へ往生したいものだと述べられています。

 

3 藤崎御住職お礼の言葉(御会葬御礼から)
生前、藤崎御住職が、皆様へお伝えしたいお言葉を遺されていました。
御会葬御礼に、72年間の人生を「差し引けば幸せ残る我が人生」であったと振り返られています。そして、皆さまへの感謝の気持ちと合わせて、「この後(のち)は、阿弥陀様と息子史朗のいるお浄土へ・・・・・。」と結ばれています。

4 告別式と葬儀の違い
お通夜の席で私は、告別式と葬儀の違いについてお話しをさせていただきました。
告別式は文字通り「別れを告げる儀式」です。「冥土」と言われる先の見えない闇の世界をさまようのであれば、永遠にすれ違うばかりで再会がかなうはずもありません。
ですから、最後に永遠の別れを告げる必要があるというのです。その代表的な言葉が冥福を祈るであり、永遠の別れの場にはふさわしい言葉かもしれませんが。


告別式に対して、葬儀は、故人を再会を約束された世界へと送る儀式であるとともに、故人を偲びながら、我がいのちのあり方を問う大切な法要なのであります。
そして、この約束された世界こそ、私が仏とならせていただくお浄土なのであります。
浄土真宗の所依の経典である『仏説阿弥陀経』に、お浄土の様子を示しながら「俱会一処(くえいっしょ)」というお言葉があります。
「ともに(俱)一つのところ(一処)で会える世界(=お浄土)が約束されているのですよ」という意味であります。

阿弥陀如来は、法蔵菩薩の時に、全てのものが平等にさとりの国=お浄土に生まれ、仏となることができないならば、私は仏にならないと誓われました。そして、この本願が成就し、仏になられました。


阿弥陀如来の本願力に救われて、私が仏となったからには、草葉の陰で安らかに眠っているのではなく、この世に還りきて、仏としての働きをさせていただくのであります。

5 和泉式部の和歌から
私は、先ほどの御会葬御礼を読みまして、平安時代の歌人として知られる和泉式部さんが、一人娘を若くして亡くしたとき詠んだといわれる句を思い出します。

 

夢の世に あだにはかなき 身を知れと
教えて帰る 子は知識なり
                                               
何で私の愛しい一人娘が、私より早く亡くなってしまったのかと悲嘆にくれ、私にこの苦しみを与えているのは、娘なのだと恨んでいた時に、み仏のみ教えが聞こえてまいりました。
私は、この世の無常の世界を生きているのだ。それを知らせんが為に、この子は我が子として生まれ、身をもって教えてくださった、「善知識」即ち菩薩様・仏様であったのだ。そして、今、さとりの国であるお浄土にお帰りなされたのだと。

和泉式部さんは、我が娘の死に出逢って、「諸行無常」の現実を、人の世の命のはかなさを知らされたのであります。

そして、「親しい人の死に出逢い、何も学ばなかったならば、その人の死は虚しい」といわれているのであります。

6 いのち年
人の命は、はかない命ではありますが、尊く、かけがえのないいのちでもあります。
人の年齢の数え方には、満年齢、数え年とありますが、「いのち年という数え方もあるんだよ」と、金子みすゞさんの512編の詩を発掘し、世に出されました矢崎節夫先生が「大漁」という詩を解説する中で述べられています。
私は今、満70歳ですが、矢崎先生に言わせると、地球に命が生まれたのは40億年前なので、私は40億70歳になるというのです。40億年の間、一度も断ち切られることがなかったこのいのちであるというのです。

わたしは、最誓寺第16代住職。初代からの父母のみに限って400年間の先祖は、65,536人です。もう400年遡ってみると、何と43億人に上るのです。40億年に遡ったら、一体・・・・・。
私は、日々の営みの中で、このいのちを恵まれていることが、あまりにも当たり前のことであり、いや、当たり前ということすら考えに至らず生きているが故に、感謝や感動の心を失っていたのではないかと気づかされます。

7 当たり前のことを当たり前と受け止める
「当たり前」ということについて、大変興味深いお話があります。

曹洞宗を開かれた道元禅師が24歳で中国に渡り、天童寺如浄禅師の元で学び、4年間の修行を終え28歳で帰国された時の第一声が「空手還郷・眼横鼻直(くうしゅげんきょう・がんのうびちょく)」でした。
時間の関係で詳しくは話せませんが、経典や仏像などは持ち帰らずに、ただ一つ「目は横に、鼻は縦についていることがわかって、手ぶらで還ってきた」と述べています。
子どもでもわかる当たり前のことを学んで還ってきたと言う道元を人々は呆れかえったといいます。
私は、当たり前のことを当たり前に見、当たり前のことを当たり前に行うことが道元禅師 の示された仏法の道ではないかと理解しております。
当たり前の有り難さを教えてくれるのも、み仏の心なのであります。
仏教というと、私たちは特別なもの、難しいものとして構えてしまいますが、日常の生活そのものが、仏法であり、私たちの生き方に大きな示唆をあたえてくれるものといえるのではないでしょうか。

8 想い出 矢崎節夫先生を通じて、金子みすゞさんとの出逢い
私は、在りし日の藤崎御住職との思い出が、偲ばれてなりません。
今から12年前、矢崎節夫先生が福田寺様の報恩講で講演くださいました。このご縁が元で、その後、最誓寺での公開文化講演会を初め、数回房州の地に足を運んでくださり、金子みすゞさんの数々の詩の心に触れさせていただく機会をいたただきましたのも、藤崎御住職のお陰でありました。

みすゞさんのやさしいまなざしは、浄土真宗のみ教えが息づく山口県仙崎で幼い時を過ごしたことと深い関係がありました。みすゞさんの詩を読みますと、難しい仏教用語そのままが出てくることはありませんが、その詩の一言一言に、仏さまのお心が顕されていると言えるのであります。

 

9 さびしいとき・・・・悲しみに寄り添う
ある時、藤崎御住職と、師の大好きな腰古井の純米吟醸を飲み交わしながら、みすゞさんの「さびしいとき」という詩の話をしました。 

私がさびしいときに、よそのひとやお友だちは私のさびしさをわかってくれず、お母さんは優しくしてくれるけど、私の気持ちを本当にわかってくれて、さびしときにはさびしいねと、うれしいときはうれしいねと、いつも慈悲の眼差しをもって私に寄り添ってくださるのは、仏さまであったのだとみすゞさんは詠っているのです。

10 親鸞聖人『御臨末御書(ごりんまつごしょ)』
親鸞聖人のご遺言の書と伝わる『御臨末御書(ごりんまつごしょ)』に次のようなお言葉があります。

一人居て喜ばは二人と思うべし

二人居て喜ばは三人と思うべし

その一人は親鸞なり                     

うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではありません。いつもそばにこの親鸞がいますよ」と寄り添ってくださいます。
この心を、みすゞさんは、「わたしがさびしいときに、仏さまはさびしいの」と詠ってくれました。


御遺影に見られる藤崎御住職の温かいまなざしは、 「あなたは一人ではない。あなたのことをわかってくれている人が必ずいるからね」と私たちに語りかけ、みほとけとして寄り添ってくださっているのだと、私には思えるのであります。

そして、人として生まれたらばこそ、全てのものを分け隔てなく救わんとするみ仏の教えに出遇わせていただき、多くのいのちをいただきながら生かされていることを感謝し、いのち終わる時、冥土といわれる世界に堕ちて行き、冥福を祈られる身ではなく、み仏に抱かれてさとりの国に生まれ、仏にならせていただく身を喜び、藤崎御住職のいわれる、「差し引けば幸せ残る我が人生」と言える日々を送りたいものでございます。

 

11 最後に
藤崎御住職の72年のご生涯に思いをはせ、「ありがとうございました」と申させていただきましょう。
本日は、このように大勢の方にご参列をいただき、藤崎御住職も、さぞ感慨無量のことと思います。
そして、福田寺ご門徒の皆様方には、藤崎御住職の思いを胸に、福田寺が、自らの人生を問い続けるお念仏の道場として栄えられるよう、今後とも心を一つにしてお支えくださいますようお願いいたします。

 

12 追悼歌「御仏に抱かれて」
最後に、皆さまとご一緒に、追悼歌「御仏に抱かれて」を唄い、終わりにしたいと思います。

 

13 終わりに
お時間をいただきまして、いろいろとお話しさせていただき、ありがとうございました。
本日は、ようこそお参りいただきました。

なまんだぶ なまんだぶ なまんだぶ・・・・。合掌