五井:西光寺仏教婦人会様、最誓寺へようこそ

2017.4.5(水)11:00~ 最誓寺・花あかり訪問!

千葉県 浄土真宗本願寺派 最誓寺住職 堀田了正

 

五井:西光寺仏教婦人会の皆さんが、最誓寺・花あかりを訪問くださいました。

お食事の前に金子みすゞさんについてお話しをという要望がございましたので、日頃感じていることを話させていただきました。

五井・西光寺様 ようこそ「最誓寺」へ「花あかり」へ                                                                                                      
2017.4.5                                                                                                     

みんなちがって みんないい 金子みすゞ 二十一世紀へのまなざし
最誓寺住職 堀田了正


1 金子みすゞさんとの出遇い
 今日はようこそ最誓寺、花あかりにお出でいただきありがとうございます。
 「金子みすゞさんについてお話しください。」と、この度の花あかり・最誓寺訪問につい  

てご連絡をいただい たときに、西光寺様からご要望をいただきました。
 私の好きな詩の中から、何編か選び、私なりの想いをお話しさせていただきたいと思います。

★金子みすゞさんについて
金子みすゞさんは、1903年(明治36),山口県大津郡仙崎村(今の長門市)に生まれました。大津高等女学校卒業。大正末期から昭和初期にかけ,すぐれた作品を発表し,西條八十に「若い童謡詩人の中の巨星」とまで称賛されながら,1930年(昭和5),26歳の若さで世を去りました。自死でありました。
没後その作品は埋もれ,幻の童謡詩人と語りつがれるばかりとなりましたが、童謡詩人・矢崎節夫氏の長年の努力により,512編の詩を収めた遺稿集が見つかり,没後50余年を経て出版されました。そのやさしさに貫かれた詩句の数々は,今確実に人々の心に広がっています。

生誕100年にあたる2003年4月,少女時代を過ごした金子文英堂跡地に,金子みすゞ記念館が完成し、初代館長に矢崎節夫氏が就任されました。

★国語・道徳の授業から。
私とみすゞさんとの出会いは、実は私は20年前まで教員をしていまして、教育出版社発行の国語の教科書『ひろがる言葉小学国語5下』に,『みすゞ(ず)さがしの旅ー みんなちがって,みんないい 矢崎節夫(やざきせつお)著』が載っていました。道徳の授業でも,金子みすゞさんの詩は良く取り上げられているところから、みすゞさんの詩に出合いました。

★鴨川:福田寺報恩講で、矢崎節夫先生と出逢う。

★最誓寺公開文化講演会、七浦小学校講演会、六字の会講演会を開催。
みすゞさんの詩をもっとよく知りたいということから、最誓寺公開文化講演会で、平成18年12月3日(日)に矢崎節夫先生、平成20年12月7日(日)に女流講談師の一龍齊春美師をお招きし、学ぶ機会を得ました。
4年ほど前、六字の会の総会が鋸南町中央公民館で開催されたとき、矢崎節夫氏を再度お招 し、講演会を開催いたしましたので、参加された方もおられることでしょう。
それでは、みすゞさんの詩を何編か紹介したいと思います。

2 こだまでしょうか
★まず最初に、「こだまでしょうか」という詩です。2011年3月11日の東日本大震災の後に放送された AC ジャパンの. CMで流されていたことを思い出される方も多いと思います。
★この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに、「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞさんは言っているのです。この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった被害、悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと、自分のこととして感じることができるか考えたのではないでしょうか。
★投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、「誰でも」が。
 悲しみや、喜びや、あなたの思いに寄り添える私でありたい。

 

3 大漁
★次に、皆さんよくご存じの「大漁」です。
『大漁』の詩によせて、矢崎さんは次のように述べています。
「この作品を読んだ時、わたしは強く心を動かされました。大漁を喜ぶ人々の、お祭りのようににぎわうはま辺を見つめながら、そのうらにかくれている、海の魚たちの悲しみを見つめた、一人のやさしい詩人の目を感じたからです」と。

★いのち年とは!
矢崎節夫氏が、この「大漁」という詩を解説する中で、「いのち年」ということを紹介しています。
年齢の数え方として、数え年、満年齢は一般的ですが、「いのち年」とは、地球が誕生して45億年、地 球が冷えて、海ができ、いのちが誕生したのが40億年前。私のこのいのちのルーツを訪ねるならば、40 億年前に遡るといいます。私たちは、40億年といういのちを生きてきたのです。このいのちの数え方を矢 崎氏は、「いのち年」と名付けました。
私のいのちも、鰮(いわし)のいのちも、共に40億年という“いのち年”を生きているいのちです。私は今、70歳ですから私の “いのち年”は、40億70歳というのです。
わたしは、最誓寺第16代住職。父母のみに限って400年間の先祖は、65,536人です。もう400年遡 ってみると、何と43億人に上るのです。40億年に遡ったら、一体。もう天文学的な数字になるでしょう。このいのちを授かり,生かされて生きているのですね。

★「私と小鳥と鈴と」という詩も、みすゞさんを代表する詩です。
注目したいのは、題名が「私と小鳥と鈴と」に対して、最後に「鈴と、小鳥と、それから私」といっていることです。
みすゞさんの視点は、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」なのですね。

★そしてみすゞさんは、「みんなちがって、みんないい」と結んで、一人ひとりがそれぞれに光輝いている大切な存在です。そして、あなたはあなたでいいのが最初だということです。私は私でいいんだは後です。私は私でいいんだから初めてしまうと、好き勝手でいい、人をいじめても、傷つけても、殺してもいいんだになってしまいます。これは「私とあなた」のまなざしで、仏教で戒めている「我慢」です。「我慢」とは、七慢の一つで、俺がオレがの慢心の心のことです。自分中心、人間中心のまなざしです。みすゞさんのまなざしは、「あなたと私」ですから、あなたはあなたでいいのが最初です。」
★この詩は、阿弥陀経に、青色青光 黄色黄光……と、説かれる浄土の世界そのもの。
青い花は青いまま輝き、黄色い花は黄色いまま輝く。それぞれ違うが、違うままにそれぞれ美しく輝く。それぞれが違ったままで相手を認め、それぞれが賞賛し合える世界があるんだ。と、
みすゞさんの詩に、浄土や念仏といった仏教用語は出てきませんが、詠んだ詩の心の底にお念仏に育てられた心がみなぎっているのは、小さい時から仙崎という地域に育てられた豊かな体験が深く影響を与えていたと感じられます。
★わたしは、この詩に出合いますと、槇原敬之さん作詞・作曲でSMAPの歌った「世界に一つだけの花」を思い出します。
槇原敬之さんは、「世界に一つだけの花」を作る3年前に逮捕されたことがあり、このことが自分を見つめ直す機会になったと言われています。その中で彼は仏教と出会い、人生をテーマとする作品を手がけるようになり、その成果が本曲だったそうです。
槇原敬之さんは、「ナンバーワンではなくオンリーワン」という主題は、みすゞさんの詩と同じく、「天上天下唯我独尊」という仏教の教えが念頭にあり、『仏説阿弥陀経』の「地中蓮華、大如車輪、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という一節が元になったとも語られています。

★わたしは、子供のかあさん?それとも、雀のかあさん?
どちらの目線でいるでしょうか?

★みすゞさんの「雀のかあさん」に寄せる想いは、どんなだったのでしょうか。

★当たり前のことを,当たり前だと感ずること。それって実は、不思議で、有り難いことなのです。
●清水国明さん
無人島・自給自足・ありが島(とう)
●イチロウ選手
特殊な練習ではない
●一休禅師
くねった松の盆栽
●妙好人源左さん
雨・鼻が上向いてたら
●「空手還郷 眼横鼻直
くうしゅげんきょう がんのうびちょく」  曹洞宗開祖・道元禅師

★「私がさびしいときに」
よその人は・・・知らないの
お友だちは・・・笑うの
★おかあさんは・・・やさしいの
「優しい」=憂いている人に寄り添う
★母の愛と仏さまの慈悲の心
★「仏さまも」・・・さびしいの
 「仏さまは」・・・さびしいの

あなたのさびしさ、悲しみ・苦しみは私のさびしさ、悲しみ・苦しみであり、あなたの喜びは私の喜びである、といつも共に同じ立場に立って慈悲の眼差しをもって見とどけてくださる大きな力(はたらき)を仏さまというのでしょう。
★親鸞聖人「一人居て喜ばは二人と思うべし、・・・」 『御臨(ごりん)末(まつ)御書(ごしょ)』
浄土真宗の開祖である親鸞聖人のご遺言の書と伝わる『御臨(ごりん)末(まつ)御書(ごしょ)』に次のような言葉があります。
 一人居て喜ばは二人と思うべし、
 二人居て喜ばは三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり。
「一人いるときは二人、二人の時は三人と思ってください。うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではありません。いつもそばにこの親鸞がいますよ」という意味の言葉です。 私はこの言葉を「あなたは一人ではない。あなたのことをわかってくれている人が必ずいるからね」というのです。

 

★ある幼稚園で保護者からクレームがきました。
給食費を払っているんだから、「いただきますといわせるのはやめてくれ」と。

★かわいそうなお魚を想うみすゞさん。
この詩は、「そのいのちを食べなければ生きていけない私。」「今を生きている私は、実は生かされていたんだな。」と、気付かせてくれます。
矢崎節夫氏は、「いただきますということばは、あなたのいのちを、わたしのいのちに 生かさせていただきますということばだったのですね。」と語っています。
★食事の言葉・・・「多くのいのちと~」「おかげでごちそうさまでした。」

9 報恩講
金子みすゞさんの詩に「報恩講」があります。

★報恩講は、老若男女が集い、「報恩講さん・お番」と親しく呼ばれ、大切にされてきた法要であったことが、金子みすゞさんのこの詩からも偲ばれます。
浄土真宗のみ教えが、脈々と息づいてきた仙崎の土徳が偲ばれる詩です。
この詩を読むとき私はいつも、「明るい、明るい、あたたかい」「なにかうれしい」世の中であって欲しいと、切に願わずにはいられません。
紛争が絶えず、戦争への危機が迫り、いのちが軽視されている現在、念仏者として、どう対処したらいいのか?み教えに問わずにはいられません。


兵(ひよう)戈(が)無(む)用(よう) 《『仏説無量寿経下巻』

この言葉は、『大無量寿経』に出てくる言葉です。仏の教えが行きわたっているところでは、国々は豊に栄え、人々は安らかに生き、軍隊も武器も必要とすることがない(兵=軍隊・戈=武器)という意味です。
世の中安(あん)穏(のん)なれ 仏法広まれかし 《『親鸞聖人ご消息』第25通

「浄土に往生できるかどうか不安なひとは、まず自らの浄土往生をお考えになって、念仏するのがよいでしょう。 自らの往生は間違いないと思う人は、仏のご恩を心に思い、それに報いるために心を込めて念仏し、世の中が安穏であるように、 仏法が広まるようにと思われるのがよいと思います。よくお考えになってください。この他に、特に何か考えなければならないことがあるとは思いません。」

怨みを捨ててこそ 《『法句経』ほっくきょう)

この世において、いかなるときも、多くの怨みは怨みによっては、決してやむことがない。
怨みを捨ててこそやむ、これは永遠の真理(法)である。

10 最後に
みすゞさんの現存する512編全ての詩に流れる想いは、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」の心であったと思います。
みすゞさんのやさしいまなざしは、浄土真宗のみ教えが息づく仙崎で幼い時を過ごしたことと深い関係があったのです。みすゞさんの詩には、仏教用語そのままが出てくることはありませんが、この心は、まさしく仏教で言う「菩薩道」に通じる心であったのです。
『仏説無量寿経』には、阿弥陀如来が、法蔵菩薩であった時、本願(全ての者を分け隔てなく救うという 四十八の願い)を立て、五劫の間ただひたすら思惟をこらし(正信偈 五劫思惟・・・・ごこうしゆい」修行をされ阿弥陀仏となられたとあります。
私(仏)の願いは、あなた(親鸞)ひとりのためにあったのだと。
(『歎異抄たんにしょう』によりますと、聖人は、「弥陀の五劫思惟ごこうしゆいの願がんをよくよく案あんずれば、ひとえに親鸞一人しんらんいちにんがためなりけり」と述べておられます。)
みすゞさんの詩を、このように読んでまいりますと、より深い思いが伝わってきますね。
どうもありがとうございました。                        合掌