4月法話会「金子みすゞさん」

最誓寺住職 堀田了正

2017(平成29)年4月8日(土)

 1 はじめに 
東日本大震災、原子力発電大事故から6年目を迎えました。
復興相の発言や、行いについて釈明会見が度々開かれ、辞任に追い込まれた大臣もいました。「被災者に寄り添うと言いながら命令口調等で辞任」「逃げなかったやつはバカ発言で釈明」「週刊誌報道等で釈明」「長靴発言等で釈明」「金目でしょで釈明」等々。I復興相「自主避難は自己責任発言で釈明」の報道が大きく取り上げられた4月5日、五井:西光寺仏教婦人会の皆さんが、最誓寺・花あかりを訪問されました。
坊守さんから、「金子みすゞさんのお話を聞かせてください。」とのご要望をいただきました。金子みすゞさんの「やさしいまなざし」と真逆の、被災者に寄り添い、しっかりとした対策を講じなければならない担当大臣の発言に憤る被災者の心を思いやる時、政治的思惑を別としても、やるせない気持ちを懐く方も多いのではないかと思います。
そこで今回は「金子みすゞさんの童謡詩」を通して、「寄り添う」について考えていきたいと思います。。

2 こだまでしょうか
2011年3月11日の東日本大震災の後に放送されたAC ジャパンの. CM 「“こだまでしょうか”に込められた思い」被災者に寄り添う・・・
★この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに、「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、「誰でも」が。悲しみや、喜びや、あなたの思いに寄り添える私でありたい。

3 わたしと小鳥とすずと

★注目したいのは、題名が「わたしと小鳥とすずと」に対して、最後に「鈴と、小鳥と、それから私」となり、「みんなちがって、みんないい」と結ばれていることです。
★金子みすゞさんの詩を発掘し、世の出された矢崎節夫氏の言葉を借りるならば、『みすゞさんの視点は、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」なのですね。』
★「私とあなた」のまなざしは、仏教で戒めている「我慢」に通じます。「我慢」とは、七慢の一つで、俺がオレがの慢心の心のことです。自分中心、人間中心のまなざしです。みすゞさんのまなざしは、「あなたと私」ですから、あなたはあなたでいいのが最初です。」

★この詩は、阿弥陀経に、青色青光 黄色黄光……と、説かれる浄土の世界そのもの。
青い花は青いまま輝き、黄色い花は黄色いまま輝く。それぞれ違うが、違うままにそれぞれ美しく輝く。それぞれが違ったままで相手を認め、それぞれが賞賛し合える世界があるんだ。と、
★わたしは、この詩に出合いますと、槇原敬之さん作詞・作曲でSMAPの歌った「世界に一つだけの花」を思い出します。槇原敬之さんは、「世界に一つだけの花」を作る3年前に逮捕されたことがあり、このことが自分を見つめ直す機会になったと言われています。その中で彼は仏教と出会い、人生をテーマとする作品を手がけるようになり、その成果が本曲だったそうです。槇原敬之さんは、「ナンバーワンではなくオンリーワン」という主題は、みすゞさんの詩と同じく、「天上天下唯我独尊」という仏教の教えが念頭にあり、『仏説阿弥陀経』の「地中蓮華、大如車輪、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という一節が元になったとも語られています。

4 さびしいとき

★「よその人:知らない」→「お友だち:笑う」→「お母さん:やさしい」→「仏さま:さびしいの」

あなたのさびしさ、悲しみ・苦しみは私のさびしさ、悲しみ・苦しみであり、あなたの喜びは私の喜びである、といつも私に寄り添い慈悲の眼差しをもって見とどけてくださる大きな力(はたらき)を仏さまというのでしょう
★浄土真宗の開祖である親鸞聖人のご遺言の書と伝わる『御臨(ごりん)末(まつ)御書(ごしょ)』に次のような言葉があります。
 一人居て喜ばは二人と思うべし、
 二人居て喜ばは三人と思うべし、
 その一人は親鸞なり。
 「一人いるときは二人、二人の時は三人と思ってください。うれしい時も悲しい時も、決してあなたは一人ではありません。いつもそばにこの親鸞がいますよ」と寄り添っていてくださるのです。

5 最後に
みすゞさんの現存する512編全ての詩に流れる想いは、「私とあなた」ではなく、「あなたと私」の心であったと思います。
みすゞさんのやさしいまなざしは、浄土真宗のみ教えが息づく仙崎で幼い時を過ごしたことと深い関係があったのです。みすゞさんの詩には、仏教用語そのままが出てくることはありませんが、この心は、まさしく仏教で言う「菩薩道(ぼさつどう)」に通じる心であったのです。
浄土真宗の根本聖典である『仏説無量寿経』には、阿弥陀如来が、法蔵菩薩であった時、本願(全ての者を分け隔てなく救うという 四十八の願い)を立て、五劫(ごこう)の間ただひたすら思惟をこらし(正信偈 五劫思惟・・・・ごこうしゆい」修行をされ阿弥陀仏となられたとあります。
私(仏)の願いは、あなた(親鸞)ひとりのためにあったのだと。
親鸞聖人の弟子のひとりである唯円坊の著作と伝えられる『歎異抄(たんにしょう)』によりますと、聖人は、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と述べておられます。
みすゞさんの詩を、このように読んでまいりますと、より深い思いが伝わってきます。
そして、何より自らの心をあらわし、伝えるための「ことば」をみすゞさんが非常に大切にしていることです。
昨今の様々な状況をみますと、「ことば」が如何に粗雑に扱われているか、如何にごまかし、言い逃れに使われているか・・・・・。心したいものです。             合掌

※五劫とは時の長さで一劫が五つということです。一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に、天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。