2024年年頭のご挨拶

 年明け早々、大災害、大事故が発生した。この年賀状を書いていた時には、予想だにしなかった出来事だった。

 令和6年能登半島地震、羽田空港事故でお亡くなりになられた方々には、哀悼の意を表すると共に、被害に遭われた方々には、お見舞いを申し上げ、一日も早く平常の生活が取り戻されることを祈念いたします。

 

 さて、2024年年賀状を書くにあったって、まず思ったことは、「いのち」についてでした。私の大学時代の親友の訃報に接したこと、ロシアによるウクライナ侵攻に続いて、イスラエルによるガザ地区への攻撃等、いまだ世界中に紛争が起こっており、生活・いのちを脅かされている多数の人々がいる。「なぜ、争いは起きるのか?」と自問する私がいます。

 以前私は、戦争をテーマに取り上げたことがあります。

 まず第1は、「世の中安穏なれ、仏法広まれかし」という、親鸞聖人のお手紙の中にお示しくだされたお言葉です。『親鸞聖人御消息第25通』

 「仏のご恩を心に思い、それに報いるために心を込めて念仏し、世の中が安穏であるように、 仏法が広まるようにと思われるのがよいと思います。」

 第2は「兵戈無用」というお言葉です。『仏説無量寿経下巻』(浄土真宗の根本聖典)にお示しくだされているお言葉です。

 お釈迦さまが悪を戒め信を勧められるところで語られています。「兵」は兵士、「戈」は武器の事で、物事の解決に兵士や武器を用いてはいけないと。仏教は不殺生、殺すなかれといいます。しかし、人が人を傷つけ、武器を持って殺し合うのは絶えることがありません。

 ウクライナでは空爆、ミサイル攻撃により多くの命が奪われ続けています。

 先端技術を駆使した兵戈を用いて殺戮が行われています。

 正義を謳って兵戈を用い、殺戮が正当化されています。しかし、どのような事情があろうとも、殺戮を正当化してはなりません。

 第3に、法句経に説かれる次の言葉。『この世において、怨みに報いるに怨みをもってすれば、ついに怨みはやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である』とあります。

 この言葉について、思い起こされる出来事があります。

 日本は、4カ国に分割統治されていた?

 第二次世界大戦後、アメリカの占領下にあった敗戦国日本の将来を決めるサンフランシスコ対日講和条約が1951年9月に締結されました。

 この会議においてセイロン(現スリランカ)代表のジャヤワルダナ外務大臣のスピーチは、日本の命運を一変させたといわれています。

 この時、ソ連、アメリカ、イギリス、中国は、日本を分割統治しようとしていたのです。

 日本を救った『ジャヤワルダナ氏の演説』

 「我々セイロン国は、戦時、日本軍による爆撃や重要産品の生ゴムの支配など、様々な戦争被害を受けた。これは当然つぐなわれるべきものである。しかし、我々は、仏陀の教えを信じる仏教徒である。

 仏陀の言葉には、

『もろもろの怨みは、怨み返すことによっては、けっして鎮まらない。ものもろの怨みは 怨み返さないことによって鎮まる。これは永遠の真理である。』

とあります。

 よって、我々セイロン国は日本に対する損害賠償権の一切を放棄します。」と。

 (同様の趣旨でインド、ラオス、カンボジアなども賠償請求権を放棄)

 そして、その上で「アジアの将来にとって、主権独立した自由な日本が必要である」ことを強調して、一部の国々の主張した日本分割案に真向から反対して、これを退けたのです。

 今日の私たちの豊かな生活や主権国家として日本の繁栄は、スリランカなどの仏教徒のこころなくしてはありえないものであるといえます。

 当時の総理大臣吉田茂は「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならい」と口にしたという。ブッダの言葉をよくよく噛みしめたい。

 

 仏教では、「殺してはならない、殺さしめてはならない。」「世の中が安穏(おだやか)」である為には「仏法ひろまれ」と親鸞聖人は言われます。釈尊は、「兵戈無用」であるためには、仏法が繁盛しなければならないと言われます。仏法ひろまれという願いをもって生きたいものです。